書こうかどうか悩んだが、吐き出しておかないと次に進めない気がしたので俺の半生を書こうと思う。今日の5月3日は誕生日だし、良い区切りかなとも。結構長くなるけど興味があれば読んでほしい。



中3の頃、初めてエレキギターを手にした。嬉しくて嬉しくて、買ってもらったその日はギターを抱いて寝たのを覚えてる。ウチは3人姉俺妹で、上の姉にはピアノやらフルートやら、下の妹にはトランペットやら欲しい物を親は与えていた。俺がギターが欲しいと言うと「不良になっちゃうからダメ!」「頭が悪くなるからダメ!」などと訳の分からない理由で相手にもしてくれなかったが、どうしてもギターが欲しかった俺は「ギターも音を奏でるピアノとかフルートとかと同じ楽器だろ!」と騒ぎまくった。結果、屁理屈に折れたのか忘れたが、なんとかエレキギターを買ってもらう事が出来た。



ギターを買ってもらってから数日後、近所の本屋で何となく音楽雑誌を立ち読みしていたらWoodStockについて特集された記事を見つけた。「世界最大の音楽の祭典。いまだに日本のバンドの参加は未だ…」とデカデカと書かれており、写真には野外で音楽に熱狂する何万人もの人々・・・。その記事を読んだ瞬間、全てが変わった。

「俺はコレに出る。日本人初になる。」

そう決めた。
夢が出来た瞬間だった。



夢はできたが、親の言うとおりギターを手にした俺はとてつもなく堕落していった。



高校1年の秋、友達の家で衝撃の出会いをした。ハイスタのアナログ盤アングリーフィストを聴いてしまったのだ。人生初ハイスタ。アドレナリンが出まくった俺は友達に怒られても無視して「CLOSE TO ME」をリピートして聴いた。何度聴いても感動と言うか、道が開くと言うか、不思議な気持ちでいっぱいになった。

その一週間後、親の了解も得ず勝手に学校を辞めた。そしてしばらくして家出をしたが、人生はそんな甘くはなく、俺はみなしごと呼ばれながら様々な人の家に転がり込むというクソみたいなテンプレバンドマン生活を送る事になった。



17歳の頃、バイトの給料全額を握りしめ御茶ノ水にギターを買いに行った。特に何を買うか決めてなかったけど、1軒目の楽器屋でいきなり運命の出会いをした。そのギターだけ光ってると言うか、グッとくるものを強く感じて、「迷ったらダメだ!他の人に買われる!」と思った俺は試奏もそこそこにそのギターを購入した。初Gibson、しかもFV。店を出た瞬間「俺はコイツを一生大切にする。」そう誓ったのだが、後先考えない若かりし頃の馬鹿な俺は、ギター購入にほぼ全額を使った為、残金が数十円になり御茶ノ水から帰れなくなった。ギターを背負って何十キロも歩いて帰る根性もなかったので、御茶ノ水駅近くの交番にどうしたらいいか相談しに行った。交番でひと通り話し終わると、若いお巡りさんが笑いながら「いいよ返さなくて。でも、有名になったら返しに来てね。」と言い自分の財布から2000円を出し渡してきた。他のお巡りさんは「お、おい…。」みたいな顔をしてたし、俺自身もビックリしたけど、ピンときた。「この人バンドマンだ!」と。後日お金を返しに御茶ノ水へ行ったらそのお巡りさんも居たので直接返したが、「返さなくてよかったのにー。」と複雑な表情・・・。俺はまたしてもピンときた。「やっぱりこの人絶対バンドマンだ!」と。

若くて頭ハッピーで馬鹿な俺は、こうやって沢山の人に迷惑をかけて世話になりながら図太く生きてた。



二十歳前後のある日の朝だったか

「日本のバンドがWoodstockに出演しました!」

とテレビでニュースキャスターが嬉しそうに言ってたのを見た瞬間、朝飯のコンビニ弁当を食ってたけど本当に箸が止まった。出演したのはスカパラ(記憶だと)だったので「スカパラじゃしゃーねー。超うめーし。」と、自分に言い聞かせた。何度も。何度も。

どっちか先か忘れたが、2000年のエアジャムを最後にハイスタが突然活動休止した。

いっきに夢も目標も消えた気がした。
間もなく俺は音楽を辞めた。

ただ逃げてるだけだと解っていても、本当に何もかもどうでも良くなっていた。



音楽を辞める前か後か忘れたが、バンドのデモCDを郵送で実家に送った事があった。周りからもメンバーからも評判が良くて自信があったので、久しぶりに電話してそれとなく両親に感想を聞いてみたら

母「あんたの曲も歌声も聞いてると苦しいんだよね。2度と聞きたくない。ミスチルみたいなラブソング作りなさいよ。」

父「お前の歌詞嘘くさいんだよ。薄っぺらいし、全然共感出来ない。」

との事。電話を切った後、俺は泣いた。俺なんてそんなもんだろと言い聞かせて泣いた。



音楽辞めてもクソみたいな生活は相変わらずで、かなり端折るが、三十路になった俺は相棒と一緒に東京から大阪に引っ越した。知人ゼロじゃどーしょもないので相棒と一緒に大阪でバンドを結成した。

大阪に行く少し前、相棒は猫以外には全く興味がなかったので何か他に楽しい事とかやりたい事は無いのか訊いたら、「そういえば中学生の頃、文化祭でギターやったよー。プリプリ。楽しかった。」と言ったので「おし、ギター弾けんならベースも出来るよな?俺ギター弾くからベース弾いて一緒にバンドやろうぜ!じゃ今からベース買に行こう!」と超強引に御茶ノ水に連れて行きベースを買わせた。その日から相棒は毎日毎日ベースを弾いた。指にマメを作り、テーピングを巻きながら。



2016年秋、大阪で組んだバンドで相棒と一緒に海外ロックフェスのステージに立った。日本のバンドの参加は初。旅費、食事代、ホテル代、全部負担してくれるだけじゃなく、ギャラまであるヘッドライナーの高待遇。フェスのポスターには大きなバンド名と大きなFVのギター。そしてそのフェスの名は「BlackWoodStock」。もう、神様が杖でも振ったんじゃないかと思うくらいの偶然と奇跡が重なってた。終わってみればライブ会場はパンパンで、なぜかみんなノリノリの大成功。人生最高の時間だった。もちろん御茶ノ水で買ったGibsonのFVを持っていった。

名前が近いだけで、国も規模も全然違うけど、20年前、本屋であの記事を読んだ時に描いた夢が本当に叶った・・・そう思える日だった。

当たり前だけど、ボーカル、ドラム、ベースの相棒、誰か一人欠けたらこうはならなかったし、クソみたいな人生を送っていた俺と巡り会ってくれた事に心から感謝してる。カッコよく言うと、きっとこれが運命と言うやつなんだろう。



フェスが終わった後、帰国前に1人になる時間が少しあった。その時、夢を持ってから今までの20年間を振り返ってみた。

…やっぱり、どう考えても色々な人に迷惑をかけながら自分の好き勝手に生きてきた。でも、俺なりに頑張った。ここまで来れたし、今までの人生で1番幸せだし、ここがゴールだろうな。こうやって最高の形でゴール出来たんだからもう人に迷惑かけて生きるのはやめよう。もう、音楽は辞めよう。

そう思った。外は日本では考えられないくらいの青空のいい天気で、海風が気持ち良くて、景色が綺麗で、そんな天国みたいな場所で、ロールプレイングゲームのエンディングみたいに昔の思い出がゆっくり流れた。

エンディングが流れ終わると、スッキリしたと言うか重たい荷物を下ろせたと言うか、楽になれた気がした。



気分がスッキリしたのは良いがメンバーが帰って来るまでまだ時間があったので、俺はおもむろにiPadでyahooを開き日本での最近の出来事を調べることにした。



【今日ハイスタ16年ぶりに新譜リリース!】

Yahooのトップ載っているのを見つけた瞬間、今さっきスッキリしたのに一瞬で頭がぐちゃぐちゃになった。落ち着いて、ゆっくり呼吸し、嘘だろ?嘘だろ?と言いながら情報を探しまくって、いけないのはわかってるけどYoutubeで誰かが音源上げてるのを見つけて聴いた。紛れもなくハイスタだった。

「Close to me」を初めて聴いた高校1年の秋と同じ、あの衝撃をまた受けてしまった。

「何だこれ?何でこのタイミングなんだ?何で今なんだ?」とワケがわからず、頭がおかしくなりそうな自分を抑え「落ち着け、ま、まずは、き、曲名を調べよう。曲名は…」

【Another starting line】

声を出して泣いた。



帰国3時間前にもライブがあって、気持ちの整理が出来ないままだったが、なぜかヤバイくらい大成功だった。向こうの人達もいい歳なのに、別れ際にみんなでワーワー泣いてハグしてバイバイして見送られて、感動映画のワンシーンにでもいる様な気がした。滞在してた10日間は最初から最後まで最高の時間を過ごすことが出来た。帰りの飛行機の中で「神様、杖を振ってくれてありがとう!」と、心からそう思った。



無事帰国した次の日の朝、杖を振ったのは神様じゃなかったことを知った。











帰国した次の日の朝、数年ぶりに珍しい奴からメールが来た。そいつは家出の後にすぐ組んだバンドでベースを弾いてた奴で、今ではもう腐れ縁の仲。メールには

「これ、お前だよな?」

と短い文章に一枚の写真が添付されていた。寝起だったけど、涙が出るまで1秒もかからなかったと思う。



知り合って30分もしないのに、俺に家がないことを知ると「うちに来いよ!ワンルームだけどロフトあるからそこで暮らせ!」と言ってくれて、「お前はダメだ!甘ったれてる!」とみんなの前で叱ってくれて、俺がテキトーに言ったバンド名を自分のバンド名にした超上手いドラマーで、将来夢や目標、野望を語り合った数少ないバンド仲間で、アパートなのに夜中爆音で音楽流して「クラブだぜ!」とか言って踊りまくる非常識な奴で、俺は裏切った形で出て行ったのに怒らないで「頑張れよ。」なんて言う優しい奴で、ずっとバンド頑張ってたのに道半ば脳腫瘍で死んだハイスタが大好きな奴。

そいつと俺の懐かしいツーショット写真が添付されてた。写真でそいつは俺に「ばーかw」とでも言ってるような顔だった。俺もそいつも2人とも笑ってた。

フェスのポスターにFV
夢に描いたフェス名とほとんど同じ
開催地ニューカレドニアの別名は天国に一番近い島
ハイスタのAnother starting line


道秋。杖を振ったのはみっちーだったんだなと気づいて、こんな俺にサプライズを仕掛けて天国で「してやったり」とゲラゲラ笑ってんだろうな…と思ったら、長いフライトで疲れてるのに、しばらく泣きながら笑いながら鼻水垂らしながら、何が何だかワケがわからなくなった。



それから1年半経った今、相棒と一緒にバンドを辞めてからこれと言って何もしていない。でも、時期が来たら環境が整ったらいつかまた活動したい。下手くそだし、嘘くさいし聴いた人を苦しくさせるかもしれないけど、まだ音楽がやりたい。かなり遅くなったけどもう一つのスタートラインに立ちたいと、最近思えるようになった。次はハイスタと一緒にライブするのを目標にしようかな、なーんて。



色々と、本当にありがとう。



拙い文章だけど最後まで読んでくれてありがとうございました。

あ、





あと





6月に息子が生まれます。
ドラム覚えさせて相棒と3人でハイスタやろうかな。
本当、「Gift」だわ。

2018年5月3日







追記:5月30日に生まれたよ!

息子